みなさんにとっての“大切な人”は、どなたでしょうか。母親、父親、きょうだい、パートナー、子ども、親戚、友達・・・。もしかすると、ペットを思い浮かべる方もいるかもしれません。私たちは、いつか大切な存在との永遠の別れ、つまり「死」が訪れることを知りながらも、普段はそのことをあまり意識せずに暮らしています。
大切な人や大切なものを失ったときに生じる深い悲しみや、心身に現れるさまざまな反応を「グリーフ(悲嘆)」といいます。グリーフは死別だけでなく、離婚や失職、病気、子どもの自立、役割の喪失など、人生におけるさまざまな喪失体験によって生じます。私たちは人生の中で、多かれ少なかれ何かを失いながら生きているといっても過言ではありません。
ご存じの方も多いかもしれませんが、ライフイベントの中でも、「配偶者の死」は最も大きなストレスを伴う出来事の一つとされています。また、日本の勤労者を対象としたストレス尺度でも、「配偶者の死」が最も高く、「親族の死」も上位に位置づけられています。こうした結果からも、身近な人との死別が私たちの心身に極めて大きな影響を及ぼすことが分かります。
大切な方を亡くしたとき、人は悲しみだけではなく、心や体の様々な変化を体験します。孤独感や自責感、「楽しんではいけない」という罪悪感を抱くことともあります。食欲がなくなる、眠れない、疲れやすいといった身体症状が現れることも少なくありません。人との交流を避ける人もいれば、仕事や予定で忙しく過ごすことで悲しみを紛らわせようとする人もいます。自分の生きる意味や存在価値を見失ってしまうこともあります。こうした反応の現れ方は一人ひとり異なり、どれが「正しい」というものではありません。
職場では、以前より仕事の能率が下がったり、集中しづらくなったりすることがあります。しかし、それは怠けているからではなく、大きな喪失に適応しようとする心と体の自然な反応でもあります。「もう元気になったはず」「いつまで悲しんでいるのだろう」と周囲が判断してしまうことは、本人をさらに孤立させてしまう場合があります。
グリーフに決まった回復の形はありません。同じ家族を亡くしたとしても、故人との関係性やその人自身の価値観によって、悲しみの表れ方や向き合い方は一人ひとり異なります。時間の経過とともに悲しみは少しずつ変化していきますが、その歩みは一直線ではなく、振り子のように揺れ戻しながら進んでいくものです。
回復とは、大切な人を忘れることではありません。その人がいない世界で新たな意味を見いだし、故人との新しいつながりを築いていく過程でもあります。そして、故人を苦痛なく思い浮かべることができ、悲しみという目の前の川に、自らの意思で入ったり、そこから出たりできるようになること、つまり悲しみに圧倒されることなく、その悲しみとともに生きられるようになることが、回復の一つの姿だと考えられています。
もちろん、強い悲しみや絶望感、罪悪感が長く続き、日常生活や仕事に大きな支障が生じている場合には、医療機関など専門家の支援が必要になることもあります。
私は遺族の方々とお会いするたびに、その深い悲しみの前で自分の無力さを感じます。それでも、その方が「大切な人がいない世界」を少しずつ生きていけるようになり、自分自身の人生の意味を再び見つけていけるよう、寄り添うことの大切さを実感しています。必ずしも特別な言葉や励ましが必要なのではなく、その方のペースを尊重しながら見守る姿勢が、何より大きな支えになるのではないか、と思っています。
執筆者:木ノ内(小澤)満玲
公認心理師・臨床心理士。自治体の教育相談・就学相談に長年携わり、現在もスクールカウンセラーとして活動。医療領域では、都立病院の緩和ケア病棟・緩和ケアチーム、大学病院のうつ病専門外来で認知行動療法を担当している。
参考文献:
高木慶子(2012).「グリーフケア入門 悲嘆のさなかにある人を支える」.勁草書房.
夏目誠・村田弘・杉本寛治・中村彰夫・松原和幸・浅尾博一・藤井久和(1988).「勤労者におけるストレス評価法(第1報) 点数法によるストレス度の自己評価の試み」産業医学.30(4),266-279.