「AIに聞いてみました」
この言葉を、相談の場でも耳にすることが増えてきました。
私たちは今、AIとの共存が始まったばかりの過渡期にいます。数年もすれば、「AIに聞く」ということが、今よりもっと当たり前になっているかもしれません。私自身も、ちょっとしたことでAIを頼っています(たとえば、包丁で指をざっくり切ってしまったときの処置など)。気がつけば、AIは特別なものではなく、日常の中に少しずつ組み込まれています。
わからないことをすぐに調べられるのは、とても便利です。そもそも、「わからない」という状態にとどまるには、かなりのエネルギーが必要です。調べ、考え、試行錯誤するには、時間も労力もかかります。だからこそ、わからないことを早く明らかにし、問題を解決したり、不安を和らげたりすることは大きな意味があります。
一方で、心理師として相談に来られた方の話を聴いていると、すぐには答えの出ない問いに出会うことがあります。「どうして、こんなにつらいのだろう」「私は、本当はどうしたいのだろう」。たとえば、事件の被害に遭った方が、「どうして私が被害に遭ったのだろう」とAIに尋ねたとしても、そこに納得できる答えを見つけることは難しいでしょう。
生きていると、調べてもわからないこと、考えてもすぐには答えの出ないことがあります。そうした、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を、『ネガティブ・ケイパビリティ』といいます。これは詩人ジョン・キーツが使った言葉で、 「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」とされ、近年は心理臨床や教育など、さまざまな領域で取り上げられています。
誰かから相談を受けると、「何か答えを見つけなければ」と思うのは自然なことです。目の前で困っている人や苦しんでいる人の力になりたいと思えば、「どうすればいいのか」を考えたくなります。何も解決できないことに、もどかしさを感じることもあります。私自身も、相談中に方向性が見いだせず、どちらに進めばよいかわからないことがあります。そのようなときは歯がゆくなり、つい答えを急いで、「それは仕事のストレスかもしれませんね」「まずはしっかり休んだほうがいいですよ」「もしかすると、人間関係が原因なのではないでしょうか」と、コメントしたくなります。もちろん、こうした見立てが役に立つこともあります。ただ、人のこころは、そう簡単に一つの理由で説明できるものではありません。
そのようなとき、「今はまだ、よくわからないですね」と一緒に立ち止まってみます。沈黙の中に、二人でたたずむこともあります。涙を流される方をそのまま見守っていることもあります。その辛さを感じ、理解しようとしていると、ふと本人から、「いつもこうなっちゃいます。以前も・・・」と、これまで語られなかった話が出てくることがあります。その話を手がかりに、ご本人が「もしかすると、これが関係しているのかもしれない」と、少しずつ自分自身の経験を理解できるようになる。そこには、誰かから答えを「教えてもらう」のとは違うプロセスがあります。
相談の場では、ときに「教える側」と「教えられる側」という構造が生まれます。専門的な知識を持つ人と、困っていて助けを求める人。そう考えると、心理師は「答えを持っている側」、相談者は「答えを持っていない側」に位置づけられやすいのかもしれません。
その構造のなかでは、相談者が自分の力を信じられなくなったり、「自分では何も決められない」と無力感を抱いたりすることもあります。だからこそ、すぐに答えを渡すのではなく、ときには「わからない」という苦しさを一緒に抱え、相談者が答えの出ない時間を進んでいけるよう見守ることが大切なのだと思います。自分で悩み、迷い、考え、時間をかけて一つの答えにたどり着く。その営みそのものが、「自分で考えて、自分で決めることができた」という感覚につながります。それは、自分自身への信頼を少しずつ取り戻していくことでもあるのではないでしょうか。
大切なのは、すべての「わからない」を、すぐに解決すべきものと考えないことなのかもしれません。もちろん、危機的状況など、解決を急がなければならないこともあります。しかし、そうではない場合も実は、臨床では多くあります。AIによって、これまで以上に「すぐに答えが得られる」時代になったからこそ、私たちには、あえて「わからない」にとどまる力も必要なのかもしれません。
執筆者:木ノ内(小澤)満玲
公認心理師・臨床心理士。自治体の教育相談・就学相談に長年携わり、現在もスクールカウンセラーとして活動。医療領域では、都立病院の緩和ケア病棟・緩和ケアチーム、大学病院のうつ病専門外来で認知行動療法を担当している。
参考文献:
帚木蓬生(2017).「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」.朝日新聞出版.